1月末に、父が入院した。
要介護3の認知症で
オムツもしていたための
「尿路感染症」が原因だった。
父の二番目の姉は
同じ病気で数年前に亡くなっている。
ここで少し、父の話をしようと思う。
私が父と一緒に暮らしていたのは
小学生までだ。
中学生になると、父は家を出て行き、
成人するまで、どこで何をしているのかも知らなかった。
たまにふらりと家に来ることはあった。
でも、それは家族に会いに来るというより、
荷物を取りに来るか、
一緒にすんでいた叔母(父の姉)に
お金をもらいに来るときだった。
私が大人になり
子供を出産し、
その後シングルになった。
子供が幼稚園に上がる頃、
父は初めて孫に会った。
孫は可愛いのか?
それから年に一度くらいは孫に
オモチャを持って会いに来るようになった。
住んでいるのが隣の市であることを知ったが
父が仕事をしていたのかどうかも、
正直よく知らなかった。
母とは離婚しておらず、
父が出て行ったショックから
精神を病んでいた母は
入退院を繰り返していた。
父のそばには、
一緒に暮らしていた女性がいた。
その人が、家を出てからの
父の金銭面の面倒を見ていたらしい。
子供がフィギュアスケートをしていた頃、
月に数回ある中京大学での
レッスンへ送迎してくれたことがある。
そのことだけは、今でも感謝している。
でも、子供が怪我で引退してからは、
父と会うのは冠婚葬祭くらいになった。
ある日の仕事中、突然父から電話があった。
「今から、おまえの会社まで行くわ。
場所がわからないから、教えて」
私は仕事中である。
意味もわからず来られても
会社の同僚の目もある。
「どうして?仕事中だから無理だよ」
理由を聞いても、言わない。
ただ「今から行く」の一点張り。
何度も、何度も、聞いて、ようやく出てきた言葉は、
「家賃が足らないから、今から行くから用意しといて」
は?
それは、私が出す前提のお金なの?
意味がわからなかった。
とりあえず、
会社の場所は教えずに
夜に電話するとだけ伝えて
電話を切った。
ふと、昔のことを思い出した。
中学二年生の夏休み明け
新学期のある日。
父が突然、家に来た。
叔母から聞いたのか、
「おまえ、アルバイトしてるそうだな。
いくらもらったんだ?見せてみろ」
生まれて初めてもらったアルバイト代。
7万円。
そんな大金、持ったこともなかった。
子供だった私は、それが嬉しくて仕方なかった。
私は疑いもなく、見せてしまった。
「すごいでしょ!」自分が誇らしかった。
その瞬間、
父はその中から5万円を自分のポケットに入れた。
そして、2万円だけ私に返した。
何が起きているのか、理解できなかった。
ただ呆然としていた。
父はそのまますぐに帰っていった。
絞り出すように
「かえして」と言ったが
もう遅かった。
フリーズしたままの私。
欲しいものがたくさんあった。
服が買えなくて、
制服の下に着る、インナーや下着もボロボロで、
新しいものが欲しかった。
毎日の食費や
学校の給食費は、何か月分も滞納していた。
悔しくて悔しくて、、、泣いた。
そのあとも、父が家に来て
お金ことを聞いてくることが
何度かあったが、
私はもう、絶対にお金は見せないと決めた。
昔から父の面倒を見ていたのは、父の兄姉や周りの家族だった。
お金がないと言えば、
親や兄弟姉妹が出していたらしい。
近くに住んでいた二番目の姉には、
一千万円もの借金があると、
後になって聞いた。
その借金は
昔からの、生活費の積み重ねと
家を購入する際に300万円をだしてもらった
金額らしい。
その借金も、
結局、返済する意思もなく
他の兄弟が亡くなった際の財産分与で
相殺したらしい。
一番目の叔母も、
父が購入した家のお金を、二千万円ほど払っている。
他にも、三人の兄たちや、
亡くなった祖母にも、借金をしたようだ。
父は家を購入する際に、
貯金が全くなく
金銭目的で、一番目の姉を呼びよせた。
叔母の夫である、
叔父が【癌】で亡くなって
三千万円の保険金が入ったからである。
私たち家族と叔母は
一緒に住み始めた。
でも、自分は二年~三年で
その家を出て行った。
残されたのは
母、兄、私、そして一番目の姉である叔母だ。
母もかなり変わった人で
叔母とは馬が合わず、毎日のように喧嘩をしていた。
今こうして振り返ると、
私の人生は、なかなか壮絶だったと思う。
これが私と父のバックグラウンドだ。
でも、これは、まだほんの一部の話。
そして、そんな父を
私は二年前、引き取ることになる。
葛藤の末に
その理由は、また別の機会に書こうと思う。
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